沖縄県知事選を総括するうえで、勝敗とは別に、厳しく問わなければならない問題がある。候補者に関する誤情報が広がり、本人を装ったメールまで出回ったことだ。
政策を批判し、実績を検証し、政治家の説明の矛盾を追及する。それは選挙に欠かせない。しかし、発言の意味を変えて伝え、本人が言っていない話を本人の言葉に仕立てる行為は、有権者の判断を支えるどころか、その土台を壊す。
今回、確認された事例を見る限り、デマが横行しすぎた。
しかも問題は、個々の虚偽だけにとどまらない。政策の妥当性より、誰が情報を大量に届け、相手への不信を先に定着させるかが重くなる。選挙が、ある種の情報戦へと傾いていること自体を批判しなければならない。
投票後に検証するだけでは足りない。選挙中に虚偽の拡散を止め、訂正を届け、悪質な行為の責任を追及する。その仕組みがなければ、「やったもん勝ち」はなくならない。
「県外88.1%」が示す広がりと、示していないこと
共同通信は9月15日、沖縄県知事選に関連する選挙期間中のX投稿について、発信者の所在地が分かる52万6千件を分析した結果、88.1%が県外からの投稿とみられると報じた。また、同社の出口調査では、投票先を決める際にSNSを重視した人が約4割だったという。共同通信「沖縄知事選、X投稿88%が県外」(9月15日)
この数字は、正確に受け止める必要がある。
88.1%は、所在地が分かる投稿を対象とした割合であり、投稿者の人数でも、デマの割合でもない。これだけで組織的工作の存在や、選挙結果への影響を証明することはできない。SNSを重視した人が、そのまま虚偽を信じた人というわけでもない。
県外の人が沖縄の政治を論じること自体にも、問題はない。基地問題をはじめ、沖縄県政には全国で議論すべき課題がある。居住地を理由に発言を排除することには賛成できない。
問うべきなのは、どこから発信したかだけではなく、何を、どのような根拠で、どんな方法で広めたかだ。
そのうえで、この報道は、地域の選挙をめぐる情報が、地域の中だけで完結していないことを示している。全国から集まる膨大な発信の中で、県民が候補者や政策を判断する。その環境に虚偽が混ざる危険を、個人の注意力だけで引き受けさせてよいはずがない。
本物の映像を使っても、虚偽は作れる
日本ファクトチェックセンター(JFC)は8月26日、玉城デニー・沖縄県知事が辺野古移設を決めたとする投稿を「誤り」と判定した。検証記事によると、対象の投稿は確認時点で222万回を超えて表示されていた。
JFCは移設方針が決まった経緯と玉城氏の立場を確認したうえで、投稿に使われた映像についても、別の文脈の発言が切り取られていると説明している。JFCの検証記事(8月26日)
映像に本人が映っていれば、投稿の説明まで本当になるわけではない。実際の発言でも、前後を落とし、異なる意味を与える説明を付ければ、誤った理解を広められる。
もちろん、表示回数は、その内容を信じた人数でも、投票を変えた人数でもない。それでも、誤った情報がこれほど広く表示されたことは軽視できない。
投票直前には、候補者を装うメールまで出回った
9月11日には、玉城氏になりすましたとみられるメールが報道関係者などへ大量に送られたと、琉球新報が報じた。県名の変更を公約とする記述や、投票の見返りに品物を渡すという内容が含まれていた。
玉城氏の選挙事務所は関与を否定し、事実無根だとする声明を発表した。同紙は発信経路を調べたが、発信者の特定には至らなかったと説明している。琉球新報の検証記事(9月11日公開、12日更新)
本人が掲げていない政策や行動を、本人の名前で届ける。それによって候補者への不信が生まれるなら、有権者は実在しない言動を材料に判断させられることになる。
発信者や陣営との関係が確認されていない以上、特定の候補者や政党が指示したと決めつけてはならない。しかし、関与者が未特定であることは、行為そのものへの批判を控える理由にはならない。
情報戦の「勝ち方」を、民主主義の成功と取り違えるな
選挙で伝え方を工夫することは当然だ。分かりやすい動画を作り、SNSで政策を届け、多くの人に参加を呼びかける。それ自体は政治を身近にする。
問題は、何を説明したかより、相手への嫌悪や不信をどれだけ広げたかが「強さ」として評価されることだ。
ここで批判する情報戦とは、秘密の司令塔や組織的工作が確認されたという意味ではない。情報の正確さより、量、速度、反復によって印象を先に固める競争を指している。
一つの虚偽に反論が出ても、別の投稿や動画で似た印象が繰り返されれば、個々の事実を確かめる前に「何か問題のある人物らしい」という感覚だけが残りかねない。政策を比較する時間が、次々に持ち込まれる疑いを打ち消す時間に置き換わってしまう。
そのような競争を「ネットを使いこなした」「発信力で勝った」とだけ評価するなら、政治の側に誤った教訓を与える。丁寧に説明するより、相手への不信を大量に流す方が効率的だ、という教訓である。
有権者は、攻略すべき標的ではない。自分たちの生活と地域の将来を決める主体だ。選挙を情報戦と呼んで、その手法を面白がるだけでは、そこで損なわれる判断の自由が見えなくなる。
当落への影響が測れなくても、被害は検証できる
今回のデマが何票を動かしたのか。この原稿で確認した資料から、その因果関係を断定することはできない。
県政への不満や、暮らしをよくしてほしいという期待を、すべて「デマにだまされた」で片づけるのも乱暴だ。有権者の選択は尊重されなければならない。
だが、選挙結果の尊重と、選挙過程の検証は両立する。
虚偽への対応のために、候補者が何を説明する時間を失ったのか。誤った情報を見た人に訂正は届いたのか。通報から措置まで、どれだけ時間がかかったのか。こうした問題は、勝敗への影響を完全に証明できなくても調べられる。
「結果を変えた証拠がないから問題ない」という理屈では、証明の難しさが、虚偽を広めた側を守ることになってしまう。
投票後の訂正だけでは、選挙の速度に追いつかない
選挙には期限がある。訂正が届く前に投票した人に、あとから正しい情報を示しても、その時の判断材料を入れ替えることはできない。
現行の公職選挙法には虚偽事項の公表罪がある。政府も2025年8月の答弁書で、ネット上の公表や再拡散について、個別具体的な事実に即して判断するとの考え方を示している。誤った投稿のすべてが直ちに犯罪になるわけではない。政府答弁書(2025年8月15日)
刑事責任は、証拠と法に基づいて判断されなければならない。一方、訂正表示や拡散抑制まで最終的な司法判断を待つ運用では、投票前の被害に対応できない。
事後の処罰と、進行中の被害を小さくする措置。その両方を整備する必要がある。
必要なのは、選挙中に機能する規制と透明な審査だ
今後求めたいのは、次のような制度と運用である。
第一に、選挙期間中の迅速な審査体制を設けること。
候補者、市民、報道機関が証拠を添えて申し立てられる窓口を設け、緊急度に応じた対応期限を明確にする。投票直前の明白ななりすましを、通常の通報処理の列に置いたままにしてはならない。
第二に、虚偽の拡散と利益に手を打つこと。
誤りが確認された投稿には訂正を付け、おすすめ表示や再拡散の抑制、収益化の停止、削除を、内容と被害に応じて実施する。その義務を事業者に負わせる範囲を、法制度として詰めるべきだ。今回の個々の投稿者の収益を確認したわけではないが、虚偽を拡散するほど利益が出る余地を残さない設計は必要である。
第三に、訂正を届け、記録を残すこと。
削除だけでは、すでに生じた誤解は解けない。元の情報を閲覧・共有した人に、プライバシーに配慮しながら訂正を届ける仕組みを整える。同時に、適法な手続きで記録を保全し、悪質な反復行為の責任追及につなげる。
第四に、事業者の対応も検証可能にすること。
通報件数だけでなく、対応時間、措置の理由、再審査で覆った件数などを公表する。選挙後には、研究者や報道機関が情報の拡散と対応の実態を検証できる環境を整えるべきだ。
これらは、政府や候補者が「デマだ」と言えば消せる制度を求めるものではない。政策への賛否、将来予測、風刺、根拠のある疑惑追及は、虚偽の事実の流布と区別する。本人の否定だけに依存せず、証拠と判断理由を示し、迅速な異議申立てと独立した再審査を保障する。
厳しい対応と、権力による乱用を防ぐ仕組みは、同時に実現しなければならない。
政党も候補者も、自分に有利なデマを黙認するな
政党や候補者には、自分に有利でも誤りが確認された情報を利用せず、拡散しないよう呼びかける政治的責任がある。
第三者の投稿があるだけで、候補者の指示や共謀を推定することはできない。しかし、陣営自身が利用した情報の誤りが分かったときまで、「支持者が勝手にやった」で済ませることもできない。
この原則は、支持する候補者によって変わらない。相手の虚偽は批判し、自分たちに都合のよい虚偽は見逃す。それでは、公正さを求める言葉そのものが信用を失う。
沖縄県知事選の総括を、勝った側の発信戦略と負けた側の反省だけで終わらせてはならない。
嘘を流す側が先行し、攻撃された側が後始末を負わされる。その不均衡を放置したままでは、次の選挙でも同じ手法が使われる。
選挙を、相手の信用を壊した者が得をする情報戦にしてはならない。投票後に嘆くだけでなく、投票前に止める。デマの「やったもん勝ち」を終わらせるために、そこまで踏み込むべきだ。


