斎藤元彦知事の説明は、もはや説明として評価に値しない。私はそう考える。
10月7日の定例会見で問われたのは、フリージャーナリストの菅野完氏を会見に参加させない判断についてだ。関西テレビの報道によれば、斎藤知事は自身が最終判断したと認め、「総合的に判断」という説明を繰り返した。関西テレビの報道
知事は、不規則発言や威圧的な発言などを挙げ、円滑な会見運営が難しいと説明している。しかし、運営上の理由を挙げれば、参加拒否の妥当性まで説明できたことにはならない。
なぜ拒否を続けるのか。どのような基準で判断したのか。何が改善されれば参加できるのか。知事が答えるべきなのは、そこだ。
支離滅裂な判断したという文言
記者クラブが再参加を認めても、県は参加を拒否している。この経緯は、前の記事でも取り上げた。
会見で「誰が決めたのか」を聞かれたなら、「私が決めた」は答えになる。だが、「なぜその判断が妥当なのか」を聞かれたときに、決めたという事実を繰り返しても答えにはならない。
「総合的に判断」したのであれば、何と何を考慮し、どの点を重く見たのかを示せばよい。
再参加を認める側の判断では足りないというなら、その不足を具体的に説明すればよい。将来の参加も認めないのであれば、拒否を続ける必要性と、見直しの条件を示せばよい。
ところが、判断の理由を聞かれて、判断したという結論に戻ってしまう。私はこの応答の筋道を、支離滅裂だと評価する。質問の中身と答えがかみ合っていないからだ。
「総合的」という言葉は、説明の代わりにはならない。中身を示して初めて、県民はその判断を検討できる。
会見を円滑にするなら、知事の具体的な回答も必要だ
6月24日の会見では、記者クラブ側が会見の秩序や円滑な運営に触れるとともに、斎藤知事にも、質問の趣旨を捉えて率直かつ具体的に答えるよう求めていた。兵庫県の公式会見録
会見の運営には、参加者の振る舞いと、知事の回答の両方が関わる。
参加者に問題のある行為があれば、何が問題だったのかを示し、対応の必要性を説明する。それと同時に、知事自身も質問に具体的に答える。どちらも会見を成り立たせるために必要なことだ。
知事の回答が結論の繰り返しで止まれば、疑問は解消されず、同じ論点が何度も問われることになる。「円滑な運営」を掲げる知事が、説明によって疑問を解く責任を果たしているのか。そこが問われている。
これは、菅野氏のすべての発言を支持するかどうかという話ではない。県が会見への参加を拒む以上、その判断を県民が検討できるだけの説明を求めている。
この説明まで持ち上げるのか
私がさらに疑問に思うのは、こうした対応まで無条件で持ち上げる、一部の熱狂的な擁護である。
支持する政治家であっても、説明が足りなければ「答えてほしい」と言えばよい。むしろ、支持しているからこそ、判断の根拠を示すよう求めるべきではないか。
菅野氏への好き嫌いで、県の判断を評価できるわけではない。記者を嫌っていることと、知事の説明が十分であることは別の問題だ。
相手への嫌悪を理由に排除を喜び、支持する知事が決めたから正しいと扱うのであれば、判断の根拠を点検する作業が丸ごと抜け落ちる。
私は、政治家を支持すること自体を批判しているのではない。説明になっていない応答まで称賛の対象にしてしまう、その態度に疑問を向けている。
どんな応答でも正しいと持ち上げるなら、それは政治への支持というより、政治家への信仰に近づく。知事が答えていない部分を、支持者が好意的な想像で埋めても、知事が説明したことにはならない。
知事が答えるべきことは、今も残っている
参加拒否にどのような具体的な基準があるのか。再参加を認める判断では何が足りないのか。どのような条件なら参加を認めるのか。
斎藤知事は、これらを県民に説明すべきだ。
私が「評価に値しない」と言うのは、その説明責任を果たさない応答に対してである。知事の判断を理解する材料が示されないまま、決めたという結論だけが押し返される。その姿勢を、私は厳しく批判する。
そして支持者にも聞きたい。この説明の、どこを評価して持ち上げているのか。
参考:兵庫県・10月7日の定例記者会見ページ。本記事で扱う同日の応答は、上記の関西テレビ報道に基づく。
執筆:カネさん(政経プラスチャンネル運営)/構成・出典確認補助:ChatGPT

