米国政府が、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に指定しました。日本政府は「大変残念」と表明しています。しかし、これで終わってよいのでしょうか。
日本政府が今回の措置に言及したことは事実です。一方、8月19日に公表された談話には、米国への制裁撤回要求や、赤根所長とICCを守るための具体策は記されていません。政経プラスは、法の支配を掲げる日本として、もう一段踏み込んだ対応を示すべきだと考えます。
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米国は赤根智子ICC所長をなぜ制裁したのか
米国のマルコ・ルビオ国務長官は2026年8月18日、赤根智子ICC所長と、セネガル出身のアブドゥライ・セエ上級法廷弁護士を制裁対象に指定したと発表しました。
根拠とされたのは、2025年2月にドナルド・トランプ米大統領が署名した大統領令14203です。米政府は、米国やローマ規程に加わっていない国の当局者をICCが捜査、逮捕、拘束、訴追しようとすることは国家主権への脅威だと主張しています。
今回の発表では、ICCを政治化された超国家的裁判所だと非難し、ICCの活動を弱体化させる方針まで打ち出しました。単に一つの司法判断に反対したのではありません。裁判所の所長個人を経済制裁の対象にし、組織の存立そのものへ圧力を加える措置です。
ICCの判断に異論を述べることと、裁判官や職員を制裁して司法機関の活動を妨げることは別問題です。ここを混同してはいけません。
ICCへの制裁は生活と裁判実務を直撃する
今回の制裁は、政治的な非難だけではありません。米財務省外国資産管理局(OFAC)の制度では、制裁対象者が米国の管轄内に持つ財産や財産上の利益が凍結され、米国人との取引も原則として禁止されます。
さらに、ドル決済や米国企業のサービスが世界の金融・情報基盤に深く組み込まれているため、影響は米国内にとどまりません。金融機関や事業者が制裁違反を恐れ、対象者との取引を広く避ける「萎縮効果」も生じます。
赤根所長は以前から、強い制裁が発動されれば給与の支払いやIT企業との取引が難しくなり、捜査、裁判、被害者・証人の保護にまで影響する可能性があると説明してきました。個人への圧力であると同時に、国際裁判所の機能を止めかねない問題です。
制裁を受けたからといって、直ちに世界中の銀行口座やクレジットカードが一律に使えなくなるとまでは断定できません。実際の範囲は金融機関、取引経路、OFACの許可内容によって異なります。ただ、日常生活と職務の両方に深刻な制約を及ぼし得ることは間違いありません。
ICCは何を裁く国際機関なのか
ICCは、集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪について、個人の刑事責任を追及する常設の国際裁判所です。国そのものを裁く国際司法裁判所(ICJ)とは役割が異なります。
基本となるのは「補完性」です。まず各国の司法制度が捜査や裁判を担い、その国に真に捜査・訴追する意思や能力がない場合などにICCが補完します。どの事件でも自由に介入できる「世界政府の裁判所」ではありません。
米国やイスラエルはICCの設立条約であるローマ規程の締約国ではなく、ICCの管轄権に強く反発しています。一方、ICCはパレスチナの領域で行われたとされる犯罪について管轄権があるとの立場を取り、イスラエル側の異議を退けてきました。
この管轄権をめぐる法的対立は、司法手続の中で争われるべきものです。結論が気に入らないから裁判官や職員を経済制裁の対象にするのであれば、法ではなく国力で裁判所を従わせることになります。
日本政府は「大変残念」と表明した
日本政府が沈黙していたわけではありません。
外務省は8月19日、赤根智子所長が米国の制裁対象に追加されたことを確認したうえで、日本はICCを一貫して支持してきたと説明し、今回の措置を「大変残念」とする外務報道官談話を発表しました。高市早苗首相も同日、この談話に触れ、米国や関係国と意思疎通しながら対応すると述べています。
ここは正確に押さえる必要があります。争点は「高市首相が何も言わなかった」ことではありません。発言の内容と、その後の行動が十分かどうかです。
日本政府は2026年3月、茂木敏充外務大臣と赤根所長の面会時に、ICCが独立性と安全を確保して役割を果たせるよう「しっかり支援していく」と表明していました。その約5か月後、所長本人が制裁対象になった以上、以前の約束を具体的な行動に移す局面です。
しかし、8月19日の談話で公表されたのは、遺憾の表明と関係国との意思疎通まででした。制裁の撤回を米国に求めたのか。ICCの業務を守るため、どのような実務支援を行うのか。締約国と共同声明を出すのか。公開資料からは分かりません。
「大変残念」で終わらせてはいけない
政経プラスは、日本政府の表現として「大変残念」だけでは弱いと考えます。
日本は2007年にICCへ加盟しました。赤根智子所長は日本人初のICC所長です。しかし、守るべき理由は日本人だからだけではありません。裁判官が法を適用したことを理由に国家から経済制裁を受けるなら、政治権力から独立した裁判は成り立たなくなるからです。
赤根所長は今回の制裁について、日本と日本国民の支援が重要な鍵になると訴えています。これは単なる応援要請ではありません。米国の同盟国であり、ICC締約国でもある日本に、外交的な役割を果たしてほしいという要請です。
日本政府が取るべき対応は、少なくとも次の四つです。
- 米国に対し、赤根所長らへの制裁撤回を明確に求める
- ICC締約国と連携し、裁判所の独立を支持する共同の意思を示す
- 金融、決済、ITなどでICCの業務が止まらないための実務支援を検討する
- 何を米国に伝え、どの支援を行ったのかを国民に説明する
日米関係が重要だから発言を抑える、という判断はあるかもしれません。しかし、同盟国だからこそ、法の支配に反する措置には率直に異議を伝えるべきです。相手が友好国なら沈黙し、対立国にだけ法の支配を説くのであれば、日本の外交原則そのものが疑われます。
今回問われているのは、ICCの個別判断に全面的に賛成するかどうかではありません。裁判官を制裁で黙らせる手法を認めるのか。それとも、司法の独立を守るのかです。
よくある質問
Q1.赤根智子所長は何をしたため制裁されたのですか?
米国政府は、赤根所長らが、政府がICCの管轄権に同意していない国の当局者を捜査・逮捕・拘束・訴追する取り組みに直接関与したと説明しています。ただし、米国の発表は個別事件における赤根所長の具体的な行為を詳しく示したものではありません。
Q2.米国はICCに加盟していますか?
米国はローマ規程の締約国ではありません。イスラエルやロシア、中国も非締約国です。一方、日本は2007年10月1日に正式な加盟国となりました。
Q3.日本政府は米国の制裁に抗議していないのですか?
日本政府は8月19日、今回の措置を「大変残念」と表明し、関係国と意思疎通しながら対応すると説明しました。ただし、公表された談話には、制裁撤回の明示的な要求や具体的な支援策までは記載されていません。
まとめ
- 米国は8月18日、赤根智子ICC所長らを制裁対象に指定した
- 米国は、非締約国の当局者にICCが管轄権を及ぼすことを主権への脅威だと主張している
- 制裁は資産凍結や取引制限を伴い、ICCの裁判実務にも影響し得る
- 日本政府は「大変残念」と表明したが、公開された談話に撤回要求や具体策は記されていない
- 日本には、米国への働きかけとICCへの実務支援を具体化する責任がある
「法の支配」は、都合のよい相手にだけ求める言葉ではありません。裁判所の判断に異論があっても、裁判官を経済制裁で従わせない。この一線を守れるかどうかが、日本政府にも問われています。
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参考資料
- Advancing the United States’ Campaign to Address the Threat Posed by the International Criminal Court|米国務省(2026年8月18日)
- International Criminal Court-Related Sanctions|米財務省OFAC
- 国際刑事裁判所(ICC)に対する米国の制裁|外務省(2026年8月19日)
- 米国によるICC制裁に関する高市首相の記者対応|首相官邸(2026年8月19日)
- 国際刑事裁判所(ICC)|外務省
- 赤根ICC所長による茂木外務大臣表敬|外務省(2026年3月31日)
- 赤根智子所長の制裁措置に対するコメント|文藝春秋(2026年8月21日)
- イスラエルの管轄権異議と逮捕状に関する発表|国際刑事裁判所

